飛躍のきっかけとされる1980年代後半以降の米国での成功の陰にはどんな戦略やドラマがあったのか。作家で翻訳家の辛島デイヴィッド・早稲田大准教授(38)が、米の翻訳者ら30人超に取材したノンフィクション『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』(みすず書房)で舞台裏に迫っている。(海老沢類)
■「同時代性」強調
「翻訳を出す際、村上さんは、ほかの多くの作家のように政府や財団の支援を受けていない。どう世界に売り出したのか? それを知りたくて当時の翻訳家たちに会っていくと、彼らの物語がすごく面白かったんです」と辛島さんは言う。
本書の主役は、村上作品の英訳を最初に手がけたアルフレッド・バーンバウムさんや、出版元の講談社インターナショナル(当時)編集者だったエルマー・ルークさんといった裏方たち。1997年に英訳された長編『ねじまき鳥クロニクル』で英語圏での評価を確立するまでの十数年に焦点を絞り、個性的な出版人の群像を村上さん本人へのインタビューも交えて描く。
村上さんが長編『羊をめぐる冒険』の英訳版で米国デビューを飾ったのは1989年。日本では『ノルウェイの森』が大ベストセラーとなっていたが、米国ではまだ無名の新人。そこで訳者のバーンバウムさんらは原作に大胆に手を入れていく。〈1970/11/25〉といった章タイトルをはじめ、1970年代に結びつく記述を削除し、作品の「同時代性」を強調する戦略をとったのだ。
■ビッグ3の「後継」
数ページ単位で文章を刈り込んで物語のテンポを上げたり、村上作品の特徴でもある奇抜な比喩表現をばっさり削ったり…。大がかりな再編集は、英語圏2作目となった『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の英訳版などでも行われた。村上さんもおおむね寛容だったという。
「極端な編集ではある。でもマイナスには働かなかったのでは」と辛島さん。実際、作品の長さや難解な比喩への批判はとくになかった。米紙ニューヨーク・タイムズも『羊-』について、これまでの日本の伝統的な小説との明確な違いを指摘し、「軽快さ」や「新しさ」を好意的に評した。
「当時の米国で知られていた日本作家は、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の“ビッグ3”。その後がぽっかり空いていて、『同時代の顔』が渇望されていた。そこに、ユーモアや軽さを備えた村上さんの『新しい声』がすぽんとはまった。より広く受け入れられる『土台』を築くための英訳だったと思うんです」
■日本文学の可能性
編集は事務的に進んだわけではない。翻訳者は出版社に熱心に英訳刊行を持ちかけ、編集者とパソコンを見つめながら作品の一語一語について議論を重ねた。村上作品が描く世界観への強い共感を原動力に、情熱的に編集にあたる姿が浮かび上がってくる。
「彼らに共通するのは『よい作品を送り出す』というこだわりや責任感。村上春樹という才能と一緒にニューヨークの中心へと昇りつめるのを楽しむようにして、膨大な時間とエネルギーを割いていった。これは『作家が一人で書く』と思われがちな小説が、実は共同作業による芸術だという証しかもしれない」
村上さんの成功もあって米国での日本人作家を取り巻く環境も変わった。技術の進歩で編集の効率も上がり「最近は翻訳作品を積極的に出す小さな出版社も増えている」という。視線は自然と文学を通じた国際交流に向かう。
「小説を通して『日本にはこんなものもある』という多様性を示す。そうすれば国境を超えて相互理解が深まると思うんですよ。日本の作家には今、いろんな可能性がひらけている」
http://news.livedoor.com/article/detail/15527010/
2018年10月31日 18時2分 産経新聞
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/b/e/be8fa_368_4c58a7d9a4c44eacba6f5c19d28f4b57.jpg
売れるだけは売れる
世界中で
英語から再翻訳もラクだしな
原作とは別もの
確かに分かりやすくなってはいるけど
わざわざ訳しなおすほど
すごい翻訳力ってわけでもねぇな、が素直な感想
サイデンステッカーの訳のおかげと言われてる
さいですか
欧州の批評家からは相手にされていない
一時期は春樹ぐらいしかなくて市場独占だったしね
松村訳の「アッシャー家の崩壊?」が読みながらわくわくできる
中学生のころ
日本の文学界ではそうやって評論家に馬鹿にされたら
海外でうけてしまって
春樹が「海外の人にあなたの作品はオリジナリティがあるって言われるけど
日本でそんなこと言われたことないってディスってた」
共同通信の記事なのか?
あれは特殊で気持ち悪い妄想に縛られた変態みたいなものですから
音楽の曲名をタイトルに入れる
けだるそうに斜に構える
こねくり回した表現
小道具にこだわる
サリンジャーから多大な影響を受けてると公言してるよ。
ドストエフスキーと夏目漱石から
「総合小説」の構想を得ている。
つまり長編小説の中に複合的に多くの要素をいれて
スケールの大きな小説にするという構想。
サリンジャーからは、若々しさと反保守的なリベラル思想と同時代性かな。
そしてコマーシャリズム。
英語に戻すのは簡単だろう
スイスの次はモナコか
どうやっても税金払いたくないんだな
アメリカ人作家でサリンジャーの真似したらまず没になる
それを読んでみたいわ
英語に訳すとその辺をすっぱり省略されるので、
英語版の三島は非常に素直な物語文学なんだと。
黒澤明の場合は同時代の西部劇監督とかにライバルがいたから
今のアメリカ人にとっては古臭くて照れくさい懐メロサリンジャー風を書いている外国人とは違う
一番影響を受けたのは実は大江だと思う
「これで一ヵ月の三分の一が終り、しかも我々はどこにも辿りついていない」
↓ エキサイト翻訳
I said “well”. Well, if, the word I say is being my favorite phrase gradually.
“1/3 of one month ends with this, and moreover we arrive nowhere.”
“Well Welll” か ”Well Well Well” だったら伝わるのだろうか…
やれやれ←なつかしい笑
ねじまきの19ページを思い出した笑
従来の清水俊二(戸田ナッチの師匠)訳がオリジナルから極端に省略した意訳、超訳で
原書読んでる自分としては納得いかないってことだったのに、それと
同じことを自作の英訳作る時に容認するってのは矛盾するんだろうかな?
面白さを求める作家では決してないと思うわ。ただ文章が異常に好きなだけ。